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イタリア留学日記 その8
約5ヶ月ぶりに、イタリアの思い出を綴ろうと思います。前回まではカテゴリでイタリア留学日記を選んで読み返してください。
不幸の手紙から始まった、イタリア留学生活、留学生活に欠かせないのはなんといってもビザの申請。観光ビザでは3ヶ月しか滞在できず、長期滞在には必ず領事館の発行したビザを持たなくてはならない。(ピザ(Pizza)ではない・・・)
この滞在許可書を取得するには、まずイタリアでの引き受け先の学校などの保証書、銀行の口座(いくらか忘れたが、何十万円分の資金を持ち合わせているとの保証書)などが必要だという、しかしもう7年も前のことなので現在は改定されている可能性大。
まず学校の保証書は、例の大学院時代に訪れた夏期講習で出会った、フランカ・マッティウッチ先生が直筆で、プライベートの学校を開設かの様な保証書を書いてくれ、それを片手に、今度は銀行口座作り。ここからが悲惨なイタリア堂々巡りの旅の始まり、まず銀行口座を作るためには、税金納入者番号カードを作らなければならないと言われ、そのカードを作りに行くと、滞在許可書が必要だといわれる。滞在許可書を作るためには、銀行口座が必要で、銀行口座を作るためには・・・・・・・・。
結局どうしたかというと、知り合いのイタリア人が、税金納入者番号カードの役所の偉い人を知り合いに持っていて、最初並んだ長い行列も一発パス。笑顔でその友達が「日本から来た、有名オペラ歌手なんだけど、カード作ってやって!」って全く事実と違う紹介されたら、ものの1分で取得成功。
さぁ銀行へ!でもやっぱりイタリア、何を言われたのか覚えてないけど、もうすぐにでも滞在許可書を取得しなければならないのに、銀行口座作成だけで何週間もかかるとか言われて、その日はひとまず退散。
その話を聞いていた、あるイタリア頑固親父Fがその話を聞き、僕を違う銀行に連れて行ってくれるものの、その頑固親父街の評判では、お金にちょっとだらしなく、何人もの人が金銭トラブルでその人を悪く言っているとか・・・しかしやっぱりイタリアという国は、イタリア人の知り合いがいると早いのなんのって!やっぱりその日のうちに銀行口座を取得。
その数週間後、その銀行から今月の明細表が届くと、なななななんと自分の口座の残額数十万円が、まだ一回も引き出してもないのに、数千円引かれているではありませんか!!!!「こりゃ、やられた!」とその頑固親父の元へ抗議に向かったところ、初めてイタリア人と大喧嘩。片言のイタリア語で、「何でお前にやってもらった口座から金がなくなっているんだ?お前が盗んだのか?」僕も頑張った。その頑固親父Fも「俺じゃない、原因はiuyd8y320eik.,^-0929po1s;kl-」猛反発。しかし肝心なところのイタリア語が理解できない。仕方なく一緒に銀行窓口へ。するとやっと解った日本人には考えられない衝撃の事実が!イタリアの銀行は、銀行にお金を入れているだけで税金や諸経費が減らされて、お金を入れれば入れるほどお金が減る仕組みだという。それをはじめて知った僕はFに平謝り・・・しかしそのイタリア語が理解できない悔しさと、文化の違いのショックから、そのとき初めてベットの上で男泣きしたのを覚えています。
さぁ気を取り直して滞在許可書取得のために、警察署(Questura)へ。
まずこの警察署毎日やっているわけではなく、週に2日間ぐらい、数時間だけ窓口を開ける為、その入り口には信じられない数の、外人の行列。そのほとんどがアフリカ系黒人で、この黒人さん達、うちら日本人がよく目にしている方々は、アメリカ系の方々なのでまだ色が白い?が、アフリカ系の方々の黒さといったら、半端無く黒い。漆黒の黒といった感じ。決して人種差別で無いけど、あまり見慣れない黒人の大行列の中に、細っこい日本人が入るその恐怖って皆さんわかるかな〜〜?とにかくその初めての経験の中で待ち続けること数時間、午前9時に開門となったその瞬間、今までなんとなく作られていた行列が、一気に崩れ、その黒人たちが我先にと窓口に猛ダッシュ。僕も負けずに走りましたが、力不足の僕は、最初30番くらいだったはずなのにいつの間にか100番台に・・・これが移民問題の現場なのだと実感しながら順番を待つ。
やっとのこと窓口へ、何度も家で練習した申請の為のイタリア語を窓口で連呼!なぜか返ってくる言葉は「NO!」あれっ?もう何度か連呼すると、やはり「No!」なんで?そのうち「家へ帰れ!」と怒鳴られる。何とか身振り手振りで理解した内容は、フランカ先生が書いてくれたプライベート学校の保証書が、駄目だと言われていることがわかった。その警察官は一度日本へ帰れとも言う。どうしよ・・・何とか思いついた案は、「国立音楽院(Conservatorio)に入学したら滞在許可書をくれるのか?」と、なんとも不確かな道。そしたらなんと試験までの4ヶ月だけビザを出してくれるとのこと。
何とかビザを取得したものの、大変なことになってしまった。滞在を引き受けてくれる学校を見つけなければ。ここからまた運命を変える出会い、事件が起こるのであった。おわり
イタリア留学日記 comments(4) trackbacks(0)
Comment
長〜いブログ、お疲れさまです。いろいろ大変だったんだね。この苦労が、今、実っているんだね。
また続きを楽しみにしていまする(o^-')b
鹿児島からコメントしてみました(^-^)
from. miyuki | 2006/10/12 11:12 PM |
久しぶりのイタリア日記ですねー(^ー^*)
海外にひとりでいくのって本当に大変なんですねー!!
でもそれだけの価値がありますよねっ^^

P.S.
鹿児島の両親とちょうど日比野さん↑の乗っていた
ドンジョヴァンニをみていたのでした♪お疲れ様でした!!
from. hiratayuki | 2006/10/14 1:00 AM |
いろいろ苦労されたんですね。
これ読んでると、日本の生活って安全な方なんだな〜と思います。つづき楽しみにしてますね。
from. NF | 2006/10/15 12:21 PM |
miyukiさんとhiratayukiさん
鹿児島をイタリアの街に例えると、Carabriaっっていう中村俊介が以前いた所が、雰囲気似てると思う。ちょうド田舎だけど・・・
NFさん
日本って安全ですよ〜〜。お財布落としても戻ってくる国なんて日本ぐらいなものですよ!
from. けん | 2006/10/16 10:12 PM |








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