ブラジルどうだったか日記その2
2007.09.05 Wednesday 19:31
もう9月になって学校の仕事も始まり、そろそろ頑固に貫いてきた、意味の無い投稿拒否をやめようと思います。
残っていた2日目以降どうだったか?
2日目は、今回の旅で最も期待していた、イグアスへ移動。ここでは5星のホテル内で地元の人へのコンサートが予定されていました。最初のコンサート!
でもその前に、世界最大の水量を誇るイグアスの滝見学。
気温はサンパオロが暖冬の30度に比べ、0度近い寒さ。ここで全ての長袖、革のジャケット&マフラーが大活躍。一枚目の写真はイグアス国立公園入り口で撮ったもので、2枚目が滝。
あいにくの曇り空だったが、滝のすぐ手前まで遊歩道があり、間近で見る世界最大の滝は感動的だった。
ここの場所は、ブラジル&パラグアイ&アルゼンチン3国にまたがっており、それぞれの国側から見るイグアスはそれぞれ違った側面を見せてくれるらしい。次回は3国全てのイグアスを晴れている日に見たいものだと思って、ホテル帰り、コンサートの準備。
ここでは、地元のピアニストが伴奏者、初めて触れる日本の音楽と格闘しながら、お母さんが左手で、子供が右手を担当するなど駆使しながら、何とかコンサートをこなした。でもまだ飛行機の疲れが取れないのを良く覚えている。
それからはマリンガでも、地元の歌劇場で日本の歌公演。
ここではじめて着物の出番となった。まぁブラジルというのは便利な国で、日本人がいっぱい住んでいるおかげで、着物の着付けも、誰かがすぐに助けてくれる。日本よりも日本的な皆さんである。
ここでのコンサートも大成功だった。ここでの伴奏者も地元のブラジル人。
日本の短調な曲想が理解できないらしく、気を抜くと荒城の月が長調になったりするし、「千の風になって」の伴奏がサンバ調になったりするいかにもブラジル人といった人と音楽を通じてのコミュニケーションが、一番の思い出になっている。
その後は、クリチーバという町で、ブラジルの国会議員を35年も務めた、本当に心優しいアントニオ上野氏にお会いし、お食事会。
ブラジルでは本当に敬老心が根付いていて、スーパーのレジも60歳以上用のカウンターが必ずあり、お年寄りを労わる気持ちに感服した。
その後はまたサンパウロに戻ってきて、日本人文化協会でのコンサート。お客さんが日本人だけで1500人近く来場して、熱気ムンムンの中、コンサートを行い、帰り際は多くの日系人の方々からあつ〜〜〜い抱擁を求められた。でも本当にここまで来て良かったと実感した瞬間でもあった。
その他、老人ホームへの慰問コンサートや環アメリカ日系人大会で君が代や日本の歌を披露など色々お仕事を無事?では無かったが終了。まぁ悪いことは書かないし、忘れよう!!!
仕事が終われば、後はリオ・デ・ジャネイロ観光。
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この街は、海を山を満喫できる大自然に囲まれた街であった。
よくTVなどで目にしていたのが一枚目のクリストの像。丘の頂にそびえるこの像は、いつも街を見渡しているのである。
その丘はコルドバードの丘というのだが、そこからの景色は、僕が今までいろんな世界で見てきた景色よりも比べ物にならないくらい感動した景色であった。
それともう一枚が有名なコパカバーナビーチ。冬の為ビキニ姿の美女はいなかったが、白い砂浜がなんとも美しかった。
ただこの街治安があまり良くない。
貧富の差が激しいブラジルでは、よくスラム街を目にする。ここリオも山の中腹はほとんどスラム街になっており。そこではマフィアの巣窟にもなっているらしい。僕もこの旅で初めて銃声を聞いたほどである。
リオから楽しくサンパオロに帰ってきた4時間後、7月に起きたサンパオロの空港の飛行機事故。ちょうど僕たちも同じ飛行機会社、同じ空港に4時間前に居合わせたのである。もしあれがもう少し遅かったら・・・あ〜恐ろしい。
何はともあれサンパウロに帰ってきて市場に行き、
ピラニアを見、夜はブラジル名物シュラスコ。
本当にブラジルを満喫した旅だった。
今回、お世話になった日本会議の小森さん、安江さん、村崎さんの他にも、本当に多くの皆さんに大変お世話になったことを感謝いたします。
そしてこれからも、地球の反対側に、ここ日本と同じ社会を持つ日本人が、日本の魂を持って生活しているんだということを、日本の皆に伝えながら、僕もこれからもっと真の人間として成長していきたいと思います。
皆さんのことは一生忘れません。皆さんお元気で!おわり
残っていた2日目以降どうだったか?
2日目は、今回の旅で最も期待していた、イグアスへ移動。ここでは5星のホテル内で地元の人へのコンサートが予定されていました。最初のコンサート!
でもその前に、世界最大の水量を誇るイグアスの滝見学。
気温はサンパオロが暖冬の30度に比べ、0度近い寒さ。ここで全ての長袖、革のジャケット&マフラーが大活躍。一枚目の写真はイグアス国立公園入り口で撮ったもので、2枚目が滝。
あいにくの曇り空だったが、滝のすぐ手前まで遊歩道があり、間近で見る世界最大の滝は感動的だった。
ここの場所は、ブラジル&パラグアイ&アルゼンチン3国にまたがっており、それぞれの国側から見るイグアスはそれぞれ違った側面を見せてくれるらしい。次回は3国全てのイグアスを晴れている日に見たいものだと思って、ホテル帰り、コンサートの準備。
ここでは、地元のピアニストが伴奏者、初めて触れる日本の音楽と格闘しながら、お母さんが左手で、子供が右手を担当するなど駆使しながら、何とかコンサートをこなした。でもまだ飛行機の疲れが取れないのを良く覚えている。
それからはマリンガでも、地元の歌劇場で日本の歌公演。
ここではじめて着物の出番となった。まぁブラジルというのは便利な国で、日本人がいっぱい住んでいるおかげで、着物の着付けも、誰かがすぐに助けてくれる。日本よりも日本的な皆さんである。
ここでのコンサートも大成功だった。ここでの伴奏者も地元のブラジル人。
日本の短調な曲想が理解できないらしく、気を抜くと荒城の月が長調になったりするし、「千の風になって」の伴奏がサンバ調になったりするいかにもブラジル人といった人と音楽を通じてのコミュニケーションが、一番の思い出になっている。
その後は、クリチーバという町で、ブラジルの国会議員を35年も務めた、本当に心優しいアントニオ上野氏にお会いし、お食事会。
ブラジルでは本当に敬老心が根付いていて、スーパーのレジも60歳以上用のカウンターが必ずあり、お年寄りを労わる気持ちに感服した。
その後はまたサンパウロに戻ってきて、日本人文化協会でのコンサート。お客さんが日本人だけで1500人近く来場して、熱気ムンムンの中、コンサートを行い、帰り際は多くの日系人の方々からあつ〜〜〜い抱擁を求められた。でも本当にここまで来て良かったと実感した瞬間でもあった。
その他、老人ホームへの慰問コンサートや環アメリカ日系人大会で君が代や日本の歌を披露など色々お仕事を無事?では無かったが終了。まぁ悪いことは書かないし、忘れよう!!!
仕事が終われば、後はリオ・デ・ジャネイロ観光。
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この街は、海を山を満喫できる大自然に囲まれた街であった。
よくTVなどで目にしていたのが一枚目のクリストの像。丘の頂にそびえるこの像は、いつも街を見渡しているのである。
その丘はコルドバードの丘というのだが、そこからの景色は、僕が今までいろんな世界で見てきた景色よりも比べ物にならないくらい感動した景色であった。
それともう一枚が有名なコパカバーナビーチ。冬の為ビキニ姿の美女はいなかったが、白い砂浜がなんとも美しかった。
ただこの街治安があまり良くない。
貧富の差が激しいブラジルでは、よくスラム街を目にする。ここリオも山の中腹はほとんどスラム街になっており。そこではマフィアの巣窟にもなっているらしい。僕もこの旅で初めて銃声を聞いたほどである。
リオから楽しくサンパオロに帰ってきた4時間後、7月に起きたサンパオロの空港の飛行機事故。ちょうど僕たちも同じ飛行機会社、同じ空港に4時間前に居合わせたのである。もしあれがもう少し遅かったら・・・あ〜恐ろしい。
何はともあれサンパウロに帰ってきて市場に行き、
ピラニアを見、夜はブラジル名物シュラスコ。
本当にブラジルを満喫した旅だった。
今回、お世話になった日本会議の小森さん、安江さん、村崎さんの他にも、本当に多くの皆さんに大変お世話になったことを感謝いたします。
そしてこれからも、地球の反対側に、ここ日本と同じ社会を持つ日本人が、日本の魂を持って生活しているんだということを、日本の皆に伝えながら、僕もこれからもっと真の人間として成長していきたいと思います。
皆さんのことは一生忘れません。皆さんお元気で!おわり